人のことが信じられない・信用できない

 

 

 

 

 

「人を信じられない、信用できない」

これは、大変よくお聴きするお悩みです。

 

この「信じられない・信用できない」は、

 

・相手が自分を傷つけるかもしれない

・否定してくるかもしれない

 

という意味で、使われる場合が多いです。

 

つまり、

 

「目の前の人は自分を否定してくるのではないか」

「拒絶されるのではないか」

 

といった、不安・恐れが根底にあるのです。

 

そのため、自分の内面や本音を素直に表現できず、心を閉ざしてしまう方が多くいらっしゃいます。

 

こうした不安・恐れを抱く方は、無理に「相手を信じよう」とすることがあります。

しかし、あくまで表面的に信じようとしているだけに過ぎず、心の奥底では「信用できない」と思い込んでいます。

 

だから、どんなに表面的に、「信じよう!信じなければ!」と思おうとしても、実際には信じることはできないのです。

 

心理学では、こうした表面的な意識を、顕在意識と呼びますが、

潜在意識(無意識)の部分で「信じられない」と思っている限り、信じることはできません。

 

 

 

信じることは現実逃避

多くの方は、

 

・人を信じなければならない

・人を信じることは良いことだ

 

と思いがちです。

 

しかし、「人を信じる」ことは、単に、

「現実をあるがまま見ていない」

にすぎません。

 

私たちは、多かれ少なかれ、

 

・人から受け入れられたい

・否定されたくない

・拒絶されたくない

 

という強い思い(欲)を持っています。

 

ですが、他人が自分を受け入れるかどうかは、自分ではコントロールできません。

 

自分がどれだけ相手を信じたところで、相手は拒絶することだってあり得るのです。

 

「信じる」とは、そうした「相手をコントロールできない」という

現実を無視した行為

に過ぎません。

 

現実逃避とも言えます。

 

そうではなく、現実をあるがまま見ることが大切です。

 

 

相手は、私を否定するかもしれないし、否定しないかもしれない。

それは、コントロールすることができない事実だ

 

 

現実を無視して、「信じて」しまえば、

「私は信じていたのに、相手が裏切って私を拒絶した!」

と、恨みの感情が生じることもあります。

 

 欲を手放すことで自由になる

だからこそ、「信じる・信じない」という問題ではなく、

「受け入れられたい」という欲求を手放すことが重要なのです。

 

「なぜ信じたいのか」という動機(欲)

に目を向けることです。

 

「受け入れられたい」という欲を叶えるために、無理やり、「信じよう」とするのは無く、

「受け入れられたい、否定されたくない、拒絶されたくない」という欲を手ばなす。

 

「受け入れられても、受け入れられなくても、どちらでも良い」

と思えるようになると、相手の反応に左右されなくなります。

 

そうすれば、「信じる・信じない」という葛藤もなくなり、心が穏やかになります。

 

このように、

欲に執着している

ことに気づくことが、苦しみから解放される第一歩です。

 

 自己否定と他人依存

ところで、

「否定されたくない・拒絶されたくない」

と強く思う人ほど、実は自分自身を否定し、拒絶していることが多いのです。

 

つまり、自己否定が強いからこそ、他人からの承認を求めてしまうのです。

 

私自身も、10歳の頃から対人恐怖を抱えていました。

「人に拒絶されるのではないか、悪く思われるのではないか」

という思いが強く、人と話すことができなくなっていました。

 

しかし、カウンセリングや仏教、瞑想を通じて、自分が自分を否定していたことに気づきました。

 

そして、その否定的な思考が出てきたときに

「そういう思考が出たね」

と、ただ気づき、手放すようになりました。

 

その結果、他人が自分をどう思うか、どう扱うかが以前ほど気にならなくなり、心が穏やかになっていきました。

 

まとめ

信じることで詐欺に遭うこともあります。

つまり、信じるという行為は、正しいとは限りません。

 

大切なのは、

 

欲を手ばなし、どんな状態でも受け入れる

 

という姿勢です。

 

相手が自分をどう思うか、どう扱うかは相手次第であり、自分ではコントロールできません。

 

そして、相手に認めてもらうのではなく、自分自身が、認めて下さい。

自分自身が認めていないことに、気づいてくださいね。