
サンガ(僧伽)
とは、サンスクリット語で「コミュニティ」を意味します。
仏教においては、
狭義では、出家僧の集団を、
広義では、出家僧の集団に、在家信者の集まりも加えたコミュニティを指します。
西洋社会にも仏教が広まった今日では、
在家仏教徒者のコミニュティや、瞑想グループなど少人数での修行のための集まりも、「サンガ」と呼ぶことが一般的になっています。
私は以前から、仏教の教えを本格的に学びたいと思う方々と、
共に学び、瞑想し合う「コミュニティ」を作りたいと考えていました。
「瞑想」は、苦しみから解放されるための、とても有効な手段になります。
ですので、事あるごとに、皆さんにおススメをしています。
けれど、瞑想だけしていても効果は出にくいですし、
そもそも瞑想が上手くできるようになるために、身心を調えなければなりません。
つまり、「苦しみからの解放」には、智慧・人格の向上など複合的な要素が必要になります。
そして、1人の力では、それを成し遂げることは、非常に困難です。
仲間のサポート、影響が必須になります。
また、瞑想は、独学で行うと、効果が出ないどころか、もっと苦しみを感じる状態になることもあります。
私は瞑想歴13年ですが、瞑想の本質的な意味が分かるようになったのは、ちょうど10年経ったときからでした。
それまでは、山あり谷あり。
瞑想をしようと思えば思うほど苦しくなり、一時的に瞑想から離れた時期もありました。
結局のところ、「心を成長させる、苦しみから楽になる」ことは、
自分で試行錯誤しながら体感するしかないのですが、
それをサポートしてくれる人がいたり、励まし合う仲間がいることは、とても大きいものです。
善友の存在
仏典に、有名なエピソードがあります。
ある時、弟子のアーナンダが、
ブッダに尋ねました。「善き友、善き仲間とともにあることは、この聖なる道(仏道)の半ばにあると思いますが、いかがでしょうか?」
ブッダは次のように語りました。
「アーナンダよ、そうではない。そうではない。
善き友、善き仲間とともにあることは、聖なる道(仏道)の半ばではなく、その全てである。
善き友をもち、善き仲間の中にある者は、聖なる道を修め、成就することは、もはや約束されているからだ。」
「聖なる道(仏道)」とは、苦しみから解放される道のことです。
苦しみから解放されるためには、
「善友の存在が全て」
とまで、ブッダはおっしゃられているのですね。
善友は、
- 単なる仲の良い友達
- 気の合う友達
- 自分にとって都合の良い人
といった、「好き嫌い」で選ぶ対象ではありません。
「善友」は、「法友」とも呼ばれますが、
(仏教の)正しい道理を教え、苦しみを無くす方向へ導いてくれる人であり、
仏法の話の出来る仲間、苦しみを無くす道を一緒に切磋琢磨する同志のことです。
師や、修行の先輩も、もちろん善友です。
ですから、仏教徒や出家僧にとって、善友の一番は、ブッダになります。
まとめると、こんな感じですね。
ー善友とはー
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こういった、善友を得ることができる機会を提供し、
そんな善友たちと共に、心を成長させる・高めるためのコミュニティを作りたいと、願っていました。
具体的には、グループワーク・瞑想会・仏教講座・心の支援者育成サポートを企画運営しています。
これらに参加されている方は、セッションを1人で受ける方よりも、非常に高い効果が出ていますし、人生観や生き方が、大きく変わられていると実感します。
- 本格的に仏教や瞑想を学びたい方
- もっと深く心や真理を知り、心の成長を図りたい方に
に、ぜひご参加頂ければと願っています。