19.タイ「スカトー寺」での瞑想修行3
瞑想は、いつでも、どこでもできる
スカトー寺では、朝4時に銅鑼が鳴り、
解放感あるお堂で、朝の読経が始まります。
ステージのような場所にお坊さん方が座り、
対面で、在家信者たちが座って、一緒にお経を諳んじます。
読経の後は、説法になるのですが、
1人の僧侶が話している間、
他の僧侶や、在家信者の皆さんは、
各々、手を動かして、手動瞑想をしながら、説法を聞いています。
※手動瞑想とは、スカトー寺などの、タイのお寺で行われている瞑想法。
14の動きを繰り返し行い、その手の動きに意識を向けて、観察を行うもの。 |
スカトー寺に来るまで、
瞑想とは、しっかり時間を取って行うもの
というイメージがありました。
でも、スカトー寺では、瞑想が日常に溶け込んでいます。
例えば、
スカトー寺では、近所のおばさまたちが集まって、
井戸端会議をしている様子を、よく見かけました。
おしゃべりしている最中も、笑いながら、
手を動かして、瞑想しているのです!
どこでも、いつでも、瞑想ってできるのだなと、勉強になりました。
朝の読経&説法時、私は具合が悪く、お堂の一番後ろで横になっていました。
でも、横になりながら、手動瞑想を行うようになりました。
具合が悪くても、横になっていても、
瞑想はどこでも、できるのですね。
言葉が分からいので、
読経も説法もBGM感覚で聞き流しながら、瞑想していました
食事も瞑想の時間
読経&説法の後、僧侶の方々は、托鉢に出かけます。
ご厚意で、日本から来た人も托鉢の後ろのついて参加させて頂けました。
私は体調的に無理だったのですが、他の日本人の方々は、参加されいました。
思ったよりかなり早足で、ついてくのに必死。
それも裸足で数㎞も歩くのだから、お坊さんたちは大変だ。
と話されていました。
托鉢が終わって7:30頃、食事になります。
スカトー寺では、食事はこの時間だけです。
在家信者の為に、特別に午後4時ごろ、スープ的なものが振舞われていましたが、僧侶はこの1食のみです。
托鉢でお布施された食料と、
近所の在家信者さん達が提供してくれる品々が、
1か所に並べられました。
食事の前に僧侶・在家信者が集まり、お経を唱えたり、法話があり、
その後、上位僧から順番に、バイキング方式で料理を取っていきます。
お坊さん方が全員取り終わったら、在家信者の番です。
食事を取りに行くときも、食べ物を頂く時も、後片付けの時間も、
全てが瞑想になります。
気づきを保ちながら、各作業を行います。
無言で、一口一口味わいながら食べる食事の時間は、
とても心を満たしてくれました。
余談ですが、タイでは、スカトー寺以外の場所でも、何度も食事を頂きました。
でも、スカトー寺で食べた料理の数々は、他の場所で頂いた料理と雲泥の差で、
とてもとても、美味しかったです。
それだけ、心を込めて作られた品々だったのかな、と思いました。
感謝と感動に包まれる
2日目だったか、
手の動きに気づきを伴い、
味覚に注意を払いながら食事をしていた際、
とんでもなく大きな感謝と感動に包まれました。
「このように、食事を頂けて、なんてありがたいのだろう。
自分は、なんて恵まれているのだろう」
感謝と感動で涙が止まらなくなりました。
食事だけではない。
何もかもが、ありがたくてたまらない。
自分が置かれた環境も、
目に見える景色も、
ありがたく、奇跡のように感じる。
心理学を学ぶようになってから、
時折、抑圧していた感情が爆発したように、
大きく表出することがありました。
この時の感謝と感動も、まさにそのような感じで、
今まで心の奥底に閉じ込めていたものが、
一気に表出したような感じがしました。
この時以来、
ちょっとしたことで、大きな感謝と感動が溢れるようになり、
この状態が、その後3週間ほど、断続的に続くようになります。