25.瞑想から一時離れ、感情を直視することを楽しむ

 

瞑想から離れる

「ネガティブな状態に戻りたくない!」

こんな欲が強すぎて、心は常に混乱状態。

瞑想をしても、思考の暴走が凄くて、観察どころではありません。

 

それでも、タイ帰国後、1年ほどは、無理して瞑想しようと頑張り、もがきました。

だって、心を楽にしたかったですし、真理を体得したかったですし、成長したかったのですから。

 

でも、1年それを続け、ようやく、

 

「今、無理矢理、瞑想をすることは、逆効果で、苦しみが増すだけだ。

今は、瞑想をすることを諦めよう。一旦、瞑想から離れよう。」

 

と思えるようになりました。

 

「何としても、瞑想をしなければ!」

という執着を、手ばなしたのですね。

 

  • 仏教の教えが、苦しみから解放される唯一の道だということ
  • その為には、瞑想は必要不可欠な手段だということ

を、疑った訳ではありません。

 

ただ、今の自分には、瞑想をすることが適切ではない。

また瞑想できる時期がきたら、精進しよう。

それまでは、違う方法で心を成長させよう。

 

そんな感じでした。

 

 

感情を直視する練習

心を静める・思考を静めることは一旦、諦めると、

仏教に出会う前、カウンセリングを受けていた頃のように、

 

ひたすら、「自分の心・気持ち・感情は、どうなっているか」

を模索することにしました。

 

特に、「直視したくない感情」から逃げずに、直視する練習に励みました。

 

人それぞれ、「最も直視したくない感情」は違います。

 

「悲しみ」を最も直視したくない人もいれば、

「怒り」を最も直視したくない人もいます。

 

「直視したくない感情」は、顕在意識から排除され、潜在意識(無意識)の領域に抑圧されていきます。

 

つまり、最も直視したくない感情に、気づいていないことが多いのです。

 

私の場合は、「恐怖心」が、最も直視したくない感情です。

でも、抑圧していますから、「恐怖心を感じている」ことに、気づきにくいのです。

 

恐怖心に気づき、その恐怖心を直視しないで逃げようとすることに気づき、

観たくない恐怖心を、そのまま感じるように練習していきました。

 

強い恐怖心を感じている時は、身震いするほどで、身体にも様々な反応が生じます。

 

逃げずに恐怖心を観察していくと、だんだんと恐怖心は和らぎ、心は落ち着いていきます。

 

心が落ち着いても、身体の状態は、すぐには元に戻りません。

そんな身体も、次第に、元に戻っていきます。

 

このように、心の動きと身体の変化を、逃げずにそのまま感じる練習を、毎日しました。

 

鋭い方は、お気づきでしょう。

実はこれ、れっきとした「ヴィパッサナー瞑想(マインドフルネス瞑想)」です。

 

心と身体を観察していたのですね。

 

でも私は、瞑想とは、

呼吸瞑想、歩行瞑想、手動瞑想といったように、

形式にのっとった・形ある瞑想のことと、勝手に思っていました。

 

ですから、わざわざ「瞑想」という時間を取らずとも、

私は、結果的に、ずっと瞑想を続けていたことになります。

 

このことを理解したのは、何年も経ってからでしたね。

 

直視したくない感情を直視する。

 

これは、私にとって、とても楽しい・やりがいのあることとなりました。

 

この時以来、

「感情から逃げていないだろうか。抑圧していないだろうか」

を常に気にし、瞬間瞬間の感情に気づくことを、楽しみながら、続けています。