39.瞑想は、楽しく、面白い
それまでの10年間、なかなか効果を実感できないこともあり、
瞑想を、「楽しい」とか、「面白い」、と感じることは、ありませんでした。
でも、この頃は、
「瞑想が楽しくて、面白くて、やりたくてたまらない」
そんな感じに変化していました。
瞑想のやり方は、何十通りもあると言われています。
その中でも、私は、「歩行瞑想」を好んで行っていました。
この頃は、人通りの多い外で、歩行瞑想することが常でした。
思考が散漫で、観察が上手くできない時は、
ある程度の集中力を養うため、足の動きに合わせて、心の中で数をカウントしたりもしました。
「イチ、ニイ、サン・・・」と日本語でカウントしていては、すぐに思考に巻き込まれてしまいます。
どっぷりと思考にハマりながらも、数字が勝手に生じる状態になってしまうのです。
そこで、
「ハンドレッド(100)
ナイティナイン(99)
ナイティエイト(98)・・・」
と、100からゼロまで、英語でカウントしました。
思考にハマり込むと、日本語でカウントするのとは違って、すぐにカウントできなくなるので、
我に返って、思考から離れやすくなります。
3回ほど、100から0までカウントすると、大分、集中力が付き、思考に巻き込まれずに観察ができるようになりました。
人通りが多いと、心が揺れ動きます。
- 進行方向を邪魔されて、「私の邪魔しないで!」と怒りが生じたり
- 車が横から急に出てきて、「危ない!ひかれる!」と恐怖心が生じたり
- 道端に落ちているゴミが目に入って、「汚いなあ」と嫌悪感が生じたり
- 騒音に、「うるさい!」と怒りが生じたり
- 好ましくない臭いがしてきて、「臭くて嫌だ~」と嫌悪感が生じたり
家の中で静かに座禅を組むのとは違って、心はいつも揺れ動きます。
心が揺れ動く様子を観察するのが面白くて、この頃は、好んで外で瞑想していたのです。
生じてくる思考や感情を観察することが、とても楽しかった。
そして、思考・感情を、追いかけず、ただ、眺めていました。
瞑想が楽しくて、至福の時間にすら、感じましたね。
欲も、ただ手ばなす
特に私の場合、「嫌」という怒りの気持ちが生じることが、とても多かったです。
「嫌」という感情は、
「こうなって欲しい、ああなって欲しくない」という欲が叶わなかった時に、生じます。
思考や感情とともに、欲もただ眺め、追いかけない練習をしていました。
今、私は、皆さんに、
「髪の毛1本すら、コントロールすることはできませんよ」
とお伝えしています。
「白髪になるな、抜けるな!」
と命令しても、髪の毛は言う事を聞かず、勝手に白髪になるし、勝手に抜けますよね?
「晴れて欲しい」
と願っても、雨が降るし、
「怒られたくない!」
と願っても、怒られます。
「不安なんて生じないで!」
と思っても、不安は勝手に生じます。
つまり、私達は、何一つ、コントロールすることができないのですね。
でも私達は、その真理を理解せず、
「こうなって欲しい、ああなって欲しくない」
と、欲を抱き、コントロールしようとします。
これが、苦しみなのですね。
欲を放っておけば、手ばなせば、心は安定します。
ですから、物事をコントロールしようとする欲に気づき、ただ放っておく練習を、ひたすらしました。