41.「自分」という実体は存在しない
熱心に瞑想をするようになって、3か月が経ったある日。
人生が一変するような経験をしました。
朝、寝具を片付けていた時です。
私は、毎朝、掛布団を室内の物干しに干します。
その日も、掛布団を持ち上げ、物干しにかけようとしていました。
その時は、特段、身体の動きに気づきを伴わせていたわけでは、ありません。
TVが付いていて、アンチエイジングの特集をしていて、それを聞きながら、
「あ~老けたくないなあ」という想いが生じました。
そして、
「いかんいかん、コントロールできないことを、またコントロールしている」
と思った次の瞬間、
「未来なんて存在しない」ことを体感した時のように、
雷に打たれたように、電光石火のごとく、次の「5つのこと」を理解したのです。
①「時間」などと言うものは、存在しない
それまでは、「未来は存在しない」ことは体感して分かっていたけれど、
「過去は存在していない」という体感は、ありませんでした。
未来が思考の産物であるのだから、過去も思考が生みだした幻想にすぎないことは、理屈の上では分かっていましたが、体感は、していませんでした。
また、「今この瞬間」というものは、存在すると思っていました。
未来や過去は思考の産物であり、「今この瞬間だけがある」と思っていたのです。
でも、それも間違いだと分かりました。
「今この瞬間」も存在しない。
「今この瞬間」なんて言っている間に、それは過ぎ去っている。
ただ、何らかの関係性により、現象が生滅変化している、連続して起こる「流れ」でしかない。
「過去」も、「今」も、「未来」も、無い。
「時間」などと言うものは、存在しない。
「時間」、「瞬間」、「ある時点」などは、人間が勝手に定義した概念、意思疎通のための方便に過ぎない。
川の流れに、始まりも終わりも無く、
川の水をコップですくっても、
「これが『川』です」とは言えないのと同じ。
ある瞬間を切り取って、「これが、今この瞬間です」などと、言えるものではない。
ただ、流れがあるだけ。
始まりも終わりもなく、ただ、流れがあるだけ。
2.人間は、4つのことしかできない。
人間は、次の4つのことしかできず、それ以外のことは、何もできない。
- 生じた思考を「変えること」
(「思考」自体は自動で生じるので、生じる・生じないをコントロールすることはできない。) - 意思を持つこと
- 気持ちや身体の感覚を「感じること」
- 肉体の一部を「動かすこと」
これ以外のことを、人間がすることはできない。
※その後、「五蘊」という概念を知り、上記4項目の他、「認識すること」「記憶すること」もできるのだと、分かりました。
3.一切のもの・現象は、「実体がない」
一切のもの・現象は、固定化されていず、実体がないもので、様々な構成要素が組み合わさった、
ある時点での「状態」
に過ぎない
例えば、私達が「机」と呼んでいるものは、プラスチックでできた脚、木ででき板、鉄でできたネジなどが組み合わさったもの。
更に細分化していけば、分子や原子レベルが絡み合ったもの。
そして、分子や原子は、一時もじっとせず、絶えず変化し続けている。
私達の時間感覚で見れば、「机」なるものは、変化していないように見えるが、瞬間瞬間、変化し続けている。
すこし長尺で見れば、机も傷ついていくし、色も褪せてくる。
10年単位で比べれば、目に見えて、明らかに変化している。
100年経ったらボロボロになり、「机」と認識できない形状になっているかもしれない。
一切のもの・現象は、そういった、様々な変化し続ける構成要素が絡み合った「状態」にすぎず、「これ」といった固定化された「実体」が無い。
人間が勝手に、「ある時点での状態」を、
「机」「ネジ」などと勝手に定義しているだけ。
時間と同じく、ただ、様々な構成要素が変化し続ける「流れ」があるだけ。
4.「自分」なるものは存在しない
人間も、様々な構成要素が絡み合った「状態」に過ぎず、実体などない。
肉体、気持ち、思考、感覚。。。
これらが、瞬間瞬間、絡み合った状態を、私達は「自分」なり「人間」と定義しているに過ぎない。
そして、これらの構成要素は、瞬間瞬間、変化し続けている。
肉体を考えれば、肉・血液・体液・内臓などに分類でき、
更に、タンパク質、脂質、糖などに分類でき、
最終的には、分子・原子レベルにまで細分化される。
そして、「机」と同様、一瞬たりとも同じ形状を保っておらず、変化生滅し続けている。
感情もしかり。
思考もしかり。
感覚もしかり。
一瞬たりとも、「同じ状態」を保つことはできない。
それらの集合体・状態を、どうやって「自分」、「人間」などと定義できようか。
では、切った爪は「自分」か?
床に落ちた髪の毛は「自分」か?
1時間前に生じた怒りの気持ちは「自分」か?
「あ~、アイス美味しかったな」と感じた気持ち・思考・味覚は「自分」か?
「暑い」という感覚は「自分」か?
どこにも、固定化された「自分」などという実体は、存在しない。
あるのはただ、その時その時の、肉体であり、感覚であり、気持ち・感情であり、思考であり、「状態」に過ぎない。
そして、それらは、瞬間瞬間、変化しては、消え去ってしまうもの。
5.固定化された「実体」が、存在しているかどうか、人間には分かる能力が無い。
私達は、「感覚」を通して現象を認識している。
でも、その感覚自体に実体が無い。変化し続けている。
であるならば、認識している現象自体が、固定化されているものか、実体があるかどうか、判断ができるはずがない。
だから、人間には、物ごとに「実体」があるか否かを、知る能力が無い。
言い換えれば、「認識した現象」が、その人の住んでいる「世界」ということになる。
その世界の外、認識できないものに、もしかしたら実体があるかもしれないが、私達は、それを知る手立てが無い。
上記の5つのことを、電光石火のごとく、一瞬で理解しました。
時間にすると、ほんの数秒の出来事でした。
まだ、掛布団を手に持ったまま。
この3か月、様々な智慧が生じていましたが、
「これは、かなり大きな智慧だ!」
と感じました。
忘れないようにメモしようと、急いで布団を物干しにかけ、
たった今、理解した内容を、紙に書き出しました。
この経験によって、人生が一変します。