52章 慈悲の塊になったかのよう
この頃、瞑想を行うたびに、より一層、心が「シーン」と静まりかえっていきました。
思考はほとんど生じず、
ただ、その空間にいるだけのような、溶け込んでいるような、
「気づき」も生じていないような、
そんな状態になることが、多かったです。
また、瞑想をしていない時も、心が静まっていることが多く、
さらに、やけに時間がユッタリと進んでいるように感じました。
そして、慈悲の気持ちが、ほとばしりました。
「慈悲の塊」にでもなっかのように、
生きとし生けるものへの慈悲の気持ちが、溢れんばかりに生じました。
「生きとし生けるもの、全ての生命が、幸せであって欲しい」
そんな気持ちで一杯でした。
セッションをしていても、ご相談者さんの気持ちが、流れるように、
勝手にスッと、私の心に入ってくるようになりました。
何もしなくても、クライアントさんの気持ちが、手に取るように分かる。
「あなた」「私」という壁がなくなったかのような、
相手と自分の境が無くなったかのような、
そんな感覚でした。
クライアントさんの辛い気持ちが、どんどん私の心に入ってくる。
辛い気持ちで、私自身が涙が出ることもありました。
「でも、私は大丈夫。どんなに辛い気持ちも、受け止めてあげられる。きっと、それが私の役割。」
そう、思いました。
だから、ただ、クライアントさんのその想いを、受けとめてみました。
セッションが、シンプルになりましたね。
「共感力が高まる」って、こういうことなのかな、と思いました。
私が変わったことで、クライアントさんに良い影響を与えることができ、
クライアントさんが変わると、その周囲の人々に、良い影響を及ぼすことが、多くなりました。
これも、無常・無我ゆえ。
確固たる実体があれば、影響を及ぼしあうことも、できない訳です。
無常であり、無我であるから、私達は、良い影響を与え合うことができる。
セッションをしながら、感動して、泣きそうになることも、多かったです。
そして、
「幸せになって欲しい。苦しみが軽くなって欲しい」
その気持ちが、溢れんばかりでした。
更に、本を読んでいいても、作者の気持ちが、勝手に、流れるように、心に入ってきました。
共感しまくり状態です。
それまで、「自分とは価値観が合わないなあ」と思っていた作者の気持ちにも、心が寄り添うのです。
「価値観が合う・合わない」など、どうでも良くなり、
ただ、相手の気持ちと一体となる感じでした。
