53.慈悲の塊になったかのよう

 

この頃、瞑想を行うたびに、より一層、心が「シーン」と静まりかえっていきました。

思考はほとんど生じず、ただ、その空間にいるだけのような、溶け込んでいるような、「気づき」も生じていないような、

そんな状態になることが、多かったです。

 

また、瞑想をしていない時も、心が静まっていることが多く、

さらに、やけに時間がユッタリと進んでいるように感じました。

 

 

そして、慈悲の気持ちが、ほとばしりました。

「慈悲の塊」にでもなっかのように、生きとし生けるものへの慈悲の気持ちが、溢れんばかりに生じました。

 

「生きとし生けるもの、全ての生命が、幸せであって欲しい」

そんな気持ちで一杯でした。

 

 

セッションにも良い影響

セッションをしていても、ご相談者さんの気持ちが、流れるように、勝手にスッと、私の心に入ってくるようになりました。

何もしなくても、クライアントさんの気持ちが、手に取るように分かる。

 

「あなた」「私」という壁がなくなったかのような、
相手と自分の境が無くなったかのような、

そんな感覚でした。

 

クライアントさんの辛い気持ちが、どんどん私の心に入ってくる。

辛い気持ちで、私自身が涙が出ることもありました。

 

「でも、私は大丈夫。どんなに辛い気持ちも、受け止めてあげられる。
きっと、それが私の役割。」

そう、思いました。

だから、ただ、クライアントさんのその想いを、受けとめてみました。

 

セッションが、シンプルになりましたね。

「共感力が高まる」って、こういうことなのかな、と思いました。

 

私が変わったことで、クライアントさんに良い影響を与えることができ、

クライアントさんが変わると、その周囲の人々に、良い影響を及ぼすことが、多くなりました。

 

これも、無常・無我ゆえ。

確固たる実体があれば、影響を及ぼしあうことも、できない訳です。

 

無常であり、無我であるから、私達は、良い影響を与え合うことができる。

セッションをしながら、感動して、泣きそうになることも、多かったです。

 

そして、

「幸せになって欲しい。苦しみが軽くなって欲しい」

その気持ちが、溢れんばかりでした。

 

 

本を読んでも、作者の気持ちが心に入ってくる

更に、本を読んでいいても、作者の気持ちが、勝手に、流れるように、心に入ってきました。

共感しまくり状態です。

 

それまで、「自分とは価値観が合わないなあ」と思っていた作者の気持ちにも、心が寄り添うのです。

 

「価値観が合う・合わない」など、どうでも良くなり、

ただ、相手の気持ちと一体となる感じでした。