56.あるがまま「自分」を認める

 

一生分の欲が、あふれ出たかのような数か月。

その間、自己否定もとんでもなく生じました。

 

「こういう自分でありたい」という欲が根底にあり、

その理想の自分と違う部分を、否定していました。

 

この時期、夢日記をつけることにしました。

枕元にノートを置き、朝、目覚めたと同時に、それまで観ていた夢を書き留めるのです。

夢は、時間が経つと、忘れてしまいます。

だから、起きたてにメモする必要があるのです。

 

眠っている時は、理性が働きません。

ですから、夢には、日中は抑圧している「無意識の気持ち」が現れます。

心を観察するのに、夢を活用することは、有効なのです。

セッションでも、夢をメモしてみるよう、アドバイスさせて頂くこともあります。

 

まず、こんな夢を観ました。

ハチに、まとわりつかれる。
(ハチは、私にとって、非常に怖く、嫌な対象です)

何度追い払っても、ハチが身体から離れない。
嫌だ、怖い。

何とかハチを振り落とし、怖いけれども、殺そうとスリッパで何度も叩くと、羽が抜けていく。

そして、この世のものとは思えない、現実離れした美しい、青透明な青虫みたいになる。

さらに叩いて殺そうとするが、意外に頑丈でつぶれない。

それでも叩き続けると、次第にグチャグチャになり、体液が出てくる。(気持ち悪い)

ある程度グチャグチャになったら、シャワーの水で流し、排水口に吸い込まれるのを見て、安心する。

夢の中に登場する生物は、基本、自分を表していると言われています。

ハチは、私自身を表しているのでしょう。
自分(の想い)の一部分を、「怖くて、嫌だ」と思っている訳です。

 

そして、「現実離れしたような、美しい」青虫。

これは、「こうありたい」という理想を、表していると思います。

「良い人間でありたい。心清らかな人間でありたい。自己中心的な欲が少ない人間でありたい。」

そのような欲が強かった。

 

そして、その理想と違う状態を、「ダメだ」と否定していたわけです。

理想と違う状態を、あるがまま、認めることができなかった。

 

夢を観た後、

「もう、良い人間を装って、仮面をかぶっていたくない!
自己中心的な想いも、欲も、否定するのでは無く、あるがまま認めたい。
欲を『嫌だ』と否定したくない」

と、強く思いました。

 

だから、夢の中では、

「仮面・装っていた部分・欲を否定する部分(現実離れした美しい青虫)」

を、叩き殺したかったのでしょう。

 

この夢は、自分に対する見方がよく分かった、象徴的な夢として、今もよく覚えています。

 

これ以降、

  • 自分のことを
  • 生じた想いを
  • 欲を

 

あるがまま、受け止めるよう、意識をしました。

自己否定の想いが生じていることに気づき、手ばなす。

それを、繰り返しました。

 

夢日記をつけ始めてから最初の1ヶ月は、暴力的な夢を観ることが多かったです。

誰かが、集団でボコボコになぐられている

そんな夢が多かったです。

自分の一部を、ボコボコにしたいほど、忌み嫌っている、という訳です。

 

でも次の1か月は、肉体的暴力は止み、口で批判される夢に変わりました。

「あれがダメ、これがダメ」

と、色々な人に批判されました。

でも、暴力では無くなったので、自己否定が緩んできたと、思いました。

 

さらに、次の1ヶ月は、登場人物のみんなと、和気あいあい、仲良く楽しむ夢に変わりました。

自分の中の、色々な自分。

自己中心的な欲も
「自己」を手ばなして慈悲になっている時も

様々な「状態」を、ただ認める。

 

どんな想いが生じても、

「良い・悪い」

とジャッジすることなく、否定することなく、

ただ、「そういう想いが生じたね~」とあるがまま認める。

 

結局は、「こういう自分、ああいう自分」がある訳では無く、

瞬間瞬間、想いや感情が生じては消えているだけ

 

何が生じようと、単なる無常で消えていくのだから、

「良いも悪いも無い」。

 

そんなことを、強く実感した3か月でした。