48.真理は、本の中には無い
この頃は、瞑想と並行して、
仏法の学術的なことを学ぶことにも、熱中していました。
きっかけは、「5つのこと」が分かった後に、タイで出家された日本人の僧侶からアドバイス頂いた
「縁起を学ぶと良いよ」
という言葉です。
「縁起」とは、「十二縁起」とも言い、仏教では、核となる真理の教えの1つです。
「5つのこと」を体感するまで、私は実践することしか興味がありませんでした。
仏教の学術的なことに全く関心が無く、学術的な教えを、ほとんど知らなかったのです。
十二縁起という言葉も、辛うじて耳にしたことがあるくらい。
内容は、全く知りませんでした。
そこで、キチンと学術的なことも学んでみようと思ったのです。
そこで、タイの学僧として知名度の高い、ポー・オー・パユットー師という高僧の
「仏法」
という本を中心に、学びました。
この本は、仏教の学術的なことを学ぶには、非常に有益です。
日本語訳の本が出版されているので、私たち日本人でも、読むことができます。
下記にご紹介しますが、かなり難解ですので、本気で学術的なことを学びたい方にのみ、おススメします。
仏法を読み始めて、ビックリしました!
瞑想等の実践を通して、体感的に理解したことが、全て言語化されていたからです。
「ああ、あの体験は、そういうことだったのか」
と納得することが多かったです。
そして、十二縁起など、私がまだ深く理解していない項目も、もちろん記載がありました。
面白いことに、本を読んだだけでは理解できなくても、その後に瞑想をすると、スッと理解できるのです。
また、この頃は、瞑想のたびに新たな理解・智慧が生じたのですが、
瞑想後に本を読むと、自分の得た智慧が、言語化されているので、非常に理解が深まりました。
面白くて面白くて、
瞑想 ⇒ 本を読む ⇒ 瞑想 ⇒ 本を読む・・・
を繰り返しました。
半年くらいの間に、この「仏法」を、10回以上は読んだと思います。
特に興味のある個所は、何十回も読みました。
読むたびに、新たな理解があり、智慧が深まりました。
真理は、本の中には無い
学術的なことにハマった半年間でしたが、半年たった時、私は本を閉じました。
なぜなら、本の中には真理が無いことが、分かったからです。
本に書かれていることは、あくまで、「知識・情報」に過ぎないのです。
真理は、現象の中にしかない。
ただただ、現象を、心を、観察する以外に、真理を理解することはできない。
どれだけ本を読もうが、知識を蓄えようが、悟ることも、心を楽にすることもできない。
心を楽にするには、真理を体得するには、実践する以外にない。
そのことが、よくよく、分かったのです。
学術的なことを、軽視する訳ではないです。
実践の補助として、また実践するための動機付けとして、利用するなら、有益です。
でも、どれだけ知識を得ても、ただ、知識が増えるだけです。
心は楽になりません。
心は清らかになりません。
心は穏やかになりません。
もちろん、悟りも得られません。
学術的なことを学ぶには、そのことを理解した上で、取り組む必要があります。
本を閉じた後、2年間、「仏法」を開くことは、ほとんどありませんでした。
その間、私が仏教関連でたまに読むのは、以前の記事でも紹介した、
涅槃に至った方として有名な、アチャン・チャー師の説法をまとめた本だけでした。
アチャン・チャー師の言葉は、全てが師の体験によって得られた内容です。
学術的なものではありません。
だからこそ、真実味が違うのです。
ふと、怠けなくなる時など、精進の動機付けのために、アチャン・チャー師の本のみ、時々読んでいました。
それ以外の本は、私にとって不要になったのです。
でも、2年がたち、人に真理を伝えるようになった時に、再び、「仏法」を学び直しました。
人に伝える時に、自分が得た智慧を言語化する際に、役立ったのです。
体感したことを言語化することは、簡単なことではありません。
今、真理を人に伝える時に、「仏法」をはじめ、学術的な本も、参考にさせて頂いています。
アチャン・チャー師の本は、ぜひ皆さんにおススメしたいのですが、代表的な下記3冊は、現在、入手できないかと思います。
一応、下記にリンクを貼っておきますね。
現在、入手できるとすると、下記になります。