52.経験したことの無い「幸福・恍惚感」
「無常・無我なんて嫌だ」
という憂鬱・抑うつ状態は、1週間、続きました。
そして1週間後、ある朝、目覚めると、憂鬱感も、抑うつ感も、跡形もなく消え去り、
心はスッキリと晴れ渡り、今まで感じたことが無いような、
幸福感・恍惚感で満たされていました。
目が覚めたら、「無常・無我」を、受け入れていたのです。
目に映るもの、全てが光輝いて見えました。
無常・無我ゆえに、全ての生命や、認識対象と繋がっていている
本当に全ての事象と関係し合っていると感じる。
俗にいう「宇宙と繋がっている、一体となっている」というような、
今まで経験したことの無いような、充実感。
今までの人生、自分1人で生きてきた感じがしていましたが、
無常・無我ゆえに、確固たる実体が無いがゆえに、全ての生命と関係し合っている
ことに気づき、生きとし生けるもの、全ての生命が愛おしくてたまらい。
そして、
無常・無我ゆえに、人も社会も、無限に変革できる可能性があることに気づき、
感動を覚えました。
「自分」という存在が、確固たる実体があったら、変化することも無いですからね。
無常で無我ゆえに、私達は、社会は、変化し続けることができる。
感謝・喜び・幸福感に満たされ、
「幸せだー!」と叫びたくなりました。
「臨死体験」をすると、人が変わったように幸福感・満足感を感じると聞きますが、それと似ているのかな、と思いました。
目が覚めたら、「覚醒」していたような感じです。
何を見ても感動し、心が震え、喜びで涙が出ます。
執着が減る
そして、色々なことに対する執着が、少しだけ、でも確実に減ったと感じました。
また、「執着を手ばなしたい」という想いも減りました。
それまでは、「執着したら苦しむから、執着したくない、手ばなしたい」という想いが、いつもありましたが、
- 執着して苦しんだら、それをただ観れば良い。
「手ばさなければ」と更に苦しむ必要はない - 執着したらしたで、良いや
と、気楽に捉えられるようになりました。
だからでしょうか。
怒り・不安・承認欲求等が生じることが明らかに減り、
生じてもごく弱く、すぐに消えるようになりました。
様々なものに執着し、縛られていたものから解放され、
心が自由になったように感じました。
さらに、「事実を上手く活用すれば良い」と思うようになりました。
人間は、変化する構成要素の流れに過ぎないかもしれないけれど、
一方で、思考や想いが感情があるのだから、
「無常・無我」という事実を踏まえながら、それと上手く付き合えば良い。
「成長したい」は確かに苦しみだけれ、それが苦しみと分かった上で、上手く料理して、有効活用すれば良い。
そう、思うようになりました。
事実を事実として受け止めたうえで、それをいかようにも料理して活かすことができる
と思ったのです。
そのように捉えると、ますます肩の力が抜け、心は楽になりました。
今までより「あるがまま」でいられるようになったようです。
「あるがまま」は、言うは易し、行うは難しです。
- あるがままで「ありたい」
- 自然で「いたい」
- ネガティブな気事が生じて欲しくない
などと、結局は欲に囚われ、全く「あるがまま」な状態では無いことのほうが、圧倒的に多いのです。
でも、
上手くいかない時があっても、それはそれで良い
と、思うようになりました。
今まで、色々と複雑に考えて苦しんでいたな、
世界が、シンプルになったと感じました。
色々なことが、「まあ、良いや」と、受け流せるようになった気がしました。
今、感じている幸福感も、無常で消え去るものだから、執着したら苦しむ。
幸福感も、しがみつかず、ただ観察しよう。
でも、執着したら、それはそれで仕方がない。
そのうち気づいて、その執着を手ばなしていけば良い。
そんな、心境でした。