50.無常・無我を認めたくない
母の事、「成長したい」という想い。
そんな、価値あるものとして大事にしていたものに、実体が無い。
「無常・無我」を改めて、突き詰められたような感覚になりました。
「5つのこと」が分かった時は、「智慧・理解が生じた」
という感覚でした。
でも、今回の実感は、
その時よりも更に強い体感で、否応なしに、事実を突きつけられたような感じだったのです。
悲しさ・絶望感・喪失感・空虚感・脱力感・無力感・虚しさ
が強く強く生じて、おいおい泣きました。
ああ、そうか。
今までの営み、「生きる」という事は、全て全て、「苦」を生み出すことだったのだ。
「苦しみから解放されたい」と欲を抱けば、それは苦しみに繋がるのだ。
「こうなりたい、変わりたい」。
これらは全て、苦しみを生み出す。
だって、無常で無我なものを、コントロールすることができないのだから、
どんな願いを抱いても、叶うことは無いのだから。
私は、苦しみから解放されるように修行してきたけれど、
成長しようと精進してきたけど、
「変わりたい!」と強く欲を抱いて、実は、新たな苦しみを生み出していたんだ。
心が楽になるには、瞬間瞬間の状態を、ただ受け入れるしかない、
それ以外に、道は無い。
あがいて、苦しみから逃げようとしても、逃げ場は無いんだ
結局のところ、私は、
無常・無我というものを受け入れたくなかった。
という事です。
そこに、目を向けさせられた感じでした。
「無常・無我」を、全力で否定したい気持ちで、一杯になりました。