38.「善友」の大切さ
善友の存在が、力をくれる
この頃は、
アチャン・チャー師、スティサート師
をはじめとしたタイの僧侶や、在家信者の修行風景等の写真を、
A4サイズにたくさんプリントアウトして、家中の壁に貼っていました。
自分がタイで修行しているような雰囲気を、出したかったからです。
「疲れたな~、サボりたいな~」と思っても、壁に貼られた写真を見て、
「みんな、頑張っているのだから、私も頑張ろう!」
と、やる気を頂き、1人でも孤独感を感じることなく、挫折することなく、修行に専念できました。
お会いしたことはなくても、私には心強い師匠がいらして、一緒に切磋琢磨する仲間がいる、
そんな、想いでした。
まさに、「善友」ですね。
善友とは
正しい道理を教え、苦しみを無くす方向へ導いてくれる人(師匠)
を指します。
また、
仏法の話の出来る仲間、「法友」
も、善友と言います。
仏教徒にとって、1番の善友は、ブッダにです。
まとめると、善友の定義は、以下になります。
●正しい方向に導いてくれる 師・先生
●より良い人間になろう、心を高めようと、精進する動機づけをしてくれる人。 ●心を清らかにし、苦しみを滅する為に、共に修行する仲間 ●時に、耳に痛いことも言ってくれる存在 |
ブッダは、善友について、下記のように、おっしゃられています。
善き友、善き仲間とともにあることは、聖なる道(仏道)の半ばではなく、その全てである。
善き友をもち、善き仲間の中にある者は、聖なる道を修め、成就することは、もはや約束されているからだ。
つまり、苦しみから解放されるためには、
「善友の存在が全てだ」と言い切られているのですね。
私も、実際にお会いすることは無くても、
絶対的師匠であるアチャン・チャー師、
スティサート師、
遠くで一緒に切磋琢磨する仲間
の存在から、とても大きな影響を受けました。