47.禅定(サマーディ)
「5つのこと」が分かった後、
「これから、もっと智慧が生じるには、何をどう修行したら良いのだろう?」と思い、少々ググってみました。
すると、事実かどうかは分かりませんが、
「次の段階に進むには、涅槃に至るには、禅定(サマーディ)の経験が必須」
との記述をみつけました。
禅定(サマーディ)とは、
外界や内面に何が起こっても動揺することなく、心が安定して、落ち着いている状態のこと。
一点に集中することで、高い集中力を養う「サマタ瞑想」で得られる境地になります。
よく、スポーツ選手が、「ゾーンに入った」とおっしゃいますが、
あれは、禅定のことだと思います。
スポーツ選手が身体の感覚に強く集中することが、サマタ瞑想になっているのですね。
特殊な精神状態、肉体状態になり、その特殊な状態になることを「入る」、
その特殊な状態が消えることを「出る」と表現します。
元陸上選手の為末さんが、ゾーンと瞑想の関係を、よく話されていますね。
結局は、涅槃に至らなければ、知る由もないことですけれど、
今の私は、「道に入った」以降の修行において、禅定(サマーディ)の経験が必須とは思っていません。
探してみましたが、「禅定の経験が必須」と書かれている仏典も、無いようですし。
でも、この頃は、「そうなんだ~。だったら、禅定、経験してみたいなあ~」と信じました。
それまで、サマタ瞑想にも、禅定にも、興味が無かったので、
「どうすれば、禅定に入れるのかな~?」という、あくまで軽い感じでは、ありましたけれども。
これが禅定(サマーディ)?
そうしたら、また不思議なことが起こりました。
「禅定、経験してみたいなあ~」と軽く考えたその日、いつも通り瞑想をしたら、
今まで感じたこともないほど、高い集中力が生じました。
まさに、特殊な状態に、「入る」という感覚でした。
その日以来、毎日、瞑想するたびに、特殊な状態に入りました。
外で歩行瞑想していも、家で座禅を組んでいても、その状態に入ります。
歩行瞑想をしている時に特殊な状態に入りかけると、
じっくり観察したくて、立ち止まって、立つ瞑想に切り替えました。
例えば座禅をしている時。
だいたい、瞑想をし始めて2分くらいで、深い集中状態に入ります。
深い深い深海の底に沈んだような、心がシーンと静まり返ったようになります。
思考も、ほぼ生じません。
時々、頭の中に、思考の元になるようなものが、イメージとして現れそうになります。
でも、時間感覚が、とてもとてもユッタリしているので、何となくイメージとして形作られる前に、
「いーらない」
とすると、霧散して消えます。
そして再び、シーンと心が静まりかえるのです。
静寂が訪れると、何かに気づいている「気づき」の感覚さえ、無くなっているような、ただ、深海が広がっているような、何とも言えない感覚になりました。
(上手く、言葉では表現できませんが・・・)
通常の瞑想状態では観察できなかった、微細な現象を観察することができ、とても興味深かったです。
特殊な状態を、コントロールはできない
そして、面白いことに、その状態から、きっかり20分で、「出て」しまうのです。
私は、その状態を長く伸ばしたいと思って、瞑想を始める前にストップウォッチ押し、「出た」時にストップウォッチを止めて、時間を計りました。
すると、1分の狂いも無く、毎回、同じ時間(20分)なのです。
何日間は、「入っている」状態を長くしようと試みていましたが、
「入ること、出ること、入っている時間などを、コントロールすることはできないな」と思って、すぐに諦めました。
20分だけでも、私にとっては、とても実りが多かったですから、十分満足でした。
その20分で、微細な現象を、しっかりと観察することができましたし、
20分後にその状態から出ても、かなり集中力が高い状態で、そのまま瞑想を続けることができましたから。
だから、その20分は「ボーナス」くらいに捉えて、瞑想に励みました。
その20分の特殊な状態が、「禅定(サマーディ)」と呼ばれるものなのかは、わかりません。
一般的には、禅定は、20分という短い時間ではなく、もっと長時間続くと言われていますし、
あらかじめ、「出る」時間を、決めることができると言われています。
そういった知識と比べると、私の体験は、少し違いがありますからね。
でも、元々、サマタ瞑想にも、禅定にも、あまり興味が無かったし、
今となっては、涅槃に至るまでに、禅定の経験が必須とも考えていないので、
「まあ、禅定でも、違くても、どっちでも良いか。とにかく、良い経験、学びができて良かった」という感じです。