22.タイ「スカトー寺」での瞑想修行6

 

自己否定に気づく

瞑想修行3日目に入ったところで、

私は、お寺を去る決心をします。

 

予定では、2週間滞在させて頂くはずでしたが、

寒さ、クティの汚さ、巨大クモとの同居などに耐え切れず、

心身が限界にきていました。

 

ちょうど、翌日にお寺を去る日本人の方がいたので、

ご一緒に同行させて頂くことにしたのです。

 

決意した後も、翌日まで瞑想に励みましたが、

心はずっとモヤモヤしたままです。

 

そのまま何時間か瞑想をしていると、

急に、自分の無意識がわかりました。

 

お寺を去ることを、とても責めていたのです。

 

「お前は、辛いものから逃げている弱虫だ。

クティに馴染むことができないダメ人間だ。

少しくらい体調が悪いのを我慢できないなんて、なんて根性が無いんだ。」

 

それまで、私は、

自己否定に気づくことが、なかなかできませんでした。

 

でも、この時初めて、

自分を否定し、責め立てていることに、

ハッキリと気がついたのです!

 

とても新鮮な気づきでした。

 

「モヤモヤ」の正体は、

この自覚できていなかった、

無意識の自己否定・罪悪感・自責の念

だったのです。

 

瞑想をしていると、このように、

今まで気づいていなかった無意識を、

気づけるようになっていきます。

 

そして、この日を境に、日常生活の中でもだんだんと、

自己否定の気持ちに、気づけるようになっていきました。

 

 

初めて、自己否定・罪悪感・自責に気づいた私は、

次のような慈しみの気持ちを、自分に向けました。

 

「私は完璧な人間ではない。

今は、逃げても良い。

いずれ、また乗り越えられる時が来る。

今はまだ、その時では無いだけだ。

私は、今できる精一杯を頑張った」

 

暖かいものに包まれたような、ホッとした気持ちになりました。

 

 

あふれ出てきた「安心感・幸福感」

そして、お寺を去る日。

早朝、お堂で手動瞑想をしていました。

 

すると、突然、

「これで良いんだ!!」

という、強い想いが、溢れてきました。

 

「お寺を去ることが良い」

では、ありません。

 

存在していて良い

何もかもが、これで良い

このままで良い

何が起こっても良い

 

そんなような感覚でした。

何の根拠も無いのに、そのような想いが溢れてくるのです。

 

今まで感じたことが無いような、

安心感であり、幸福感した。

 

手動瞑想をしながら、感動して涙ぐんでいました。

 

その安心感・幸福感と共に、スカトー寺を後にします。

 

予定を繰り上げ、修行を途中で切り止める形となりましたが、

とても実りある経験をさせて頂き、感謝と感動と充足感で一杯でした。