13.瞑想が上手くいかない!
しかし、現実は、出家どころではありませんでした。
とにかく体調不良で、外出もままならない状態だったからです。
そして、強い想いとは裏腹に、
肝心の瞑想も、全然、上手くいきませんでした。
仏教の瞑想には
- 1点に集中することで、心を安定させることを目的とした
「サマタ瞑想」 - あるがまま現象を観察し、智慧を育むことを目的とした
「ヴィパッサナー瞑想(マインドフルネス瞑想)」
の2種類があります。
瞑想について、もう少し詳しく知りたい方は、下記ページをご覧くださいね▼
高い集中力を求められるサマタ瞑想と異なり、
ヴィパッサナー瞑想(マインドフルネス瞑想)は、
あるがまま、生じた現象を観察するので、
そこまで高い集中力は必要が無く、
誰でも取り組める
なんてことを、巷では言われていますが、
ヴィパッサナー瞑想も、やはりそれなりの集中力は必要です。
でも、集中どころか、常に意識散漫💦
足の動きに意識を向ける歩行瞑想と、
坐って呼吸に意識を向ける瞑想を行っていましたが、
歩行瞑想では、考え事をしている時間が圧倒的に多く、
坐った瞑想では、すぐに睡魔に襲われて、たいてい、頭がボンヤリしていました。
1日30分は瞑想するようにしていましたが、
当時は、特段、成果を感じられませんでした。
また、体調不良にも足を引っ張られました。
起き上がるのも困難な体調の時は、
当時の私のスキルでは、瞑想自体がとてもできる状態ではない。
さらに、体調不良によって、やる気自体がそがれることも、しょっちゅうでした。
そして、「あるがまま観察する」ということを理解していなかった私は、
- 思考にハマり込んでは、自分を責め
- 体調不良で瞑想が上手くいかないと、自分を責め
- 「こんなに瞑想ができない自分は、異常なのでは」と自分を責め
自己否定ばかりして、瞑想をすることが苦しくなる
という悪循環も、繰り返すようになります。
注)ただし、この時点では、
「自分を責めている」意識は、全くありませんでした。
強く自己否定していることに気づいたのは、
何年も経ってからです。
この悪循環は、「瞑想に取り組もう!」と思った人が、皆、通る道だと思います。
結局、「欲」が足を引っ張るのです。
- 瞑想で成果を出したい
- 瞑想を上手くいっている状態とは、
集中力があり、思考が生じない・あるいは思考に巻き込まれずに観察ができている状態のこと
(集中していたい、キチンと観察したい、という欲) - 瞑想が上手くできる自分でありたい
「あるがまま」とは、そういった欲も俯瞰してただ眺め、放っておくことなのに、
瞑想に熟練し、智慧が生じてこないと、
自分が欲まみれで瞑想をしていることに気づかず、悪循環に陥ってしまうのです。
それだけ、
「ただ、あるがままを観察する」
ということは、理解も実践も難しい、という事です。
私が、
「あるがままを観察する」とはどういう状態か、
体感できるようになるには、この時から10年ほどが必要でした。