31.「気持ち・感情・思考」と「気づき」の分離(名色分離智)
「身体」と「心」が分離したような感覚になり、
肉体的な苦痛に、心が左右されなくなると、
様々な気持ち・感情にも、巻き込まれなくなっていきます。
例えば、怒りが生じても、
「怒りが生じたなあ」
悲しみが生じたら、
「悲しみが生じたなあ」
楽しいという気持ちが生じたら
「楽しという気持ちが生じたなあ」
様々な思考が生じたら
「思考が生じたなあ」
こんな感じで、終わりにできるようになり、
思考を膨らますことが、少なくなりました。
様々な気持ち・感情・思考が生じますが、
「気持ち・感情・思考」と、
それらを認識する「気づき」を
分離できるようになったのです。
気持ち・感情は、シャボン玉のように生じては消えていくもののように、感じるようになりました。
これは、肉体的な感覚も同様でした。
身体の感覚も、気持ち・感情・思考も、
シャボン玉のように、生じては消えていくもの
になりました。
そうなると、シャボン玉に私達は執着しないように、
身体の感覚にも、気持ちや感情にも、あまり左右されないようになり、心は楽になった感覚が、強くありました。
この時から、体調や気持ちの浮き沈みで、暗い顔、しんどそうな表情をすることは、あまり無くなったと思います。
身体や心がどういう状態でも、放っておいて、明るい表情でいられるように、なっていきました。
名色分離智(みょうしきぶんりち)
それから何年も経ってから、この、
「認識対象」と「気づき」が分離したような感覚
が、仏教で言われている
「名色分離智(みょうしきぶんりち)」
だったのでは、と思うようになりました。
「名」は対象(身体・感情・思考など)
「色」は気づき
を指します。
分離することで、認識対象に一体化せず(巻き込まれなくなり)、心は安定していきます。
ヴィパッサナー瞑想をすると、段階的に16の智慧が生じると言われています。
(15番目の智慧を「果智」といい、涅槃を経験し、全ての苦しみから解放される智慧となります。)
名色分離智は、ヴィパッサナー瞑想で得られる16の智慧のうち、最初に現れる智慧であり、恐らく、最も重要な智慧です。
名色分離智が生じれば、いずれは16番目の智慧まで生じると言われています。
私は当時、仏教の学識がほぼなく、智慧のことも全く知りませんでしたが、
分離できるようになったことで、一皮も二皮も向けたようような、心が成長したように感じました。
人生が変わる、大きな分岐点の1つとなったと思います。