なぜ心を観察するのか①「私たちは24時間365日苦しんでいる」

 

※以前、講義でお話しした内容を書き起こしたものです

 

私はいつも、「心を観察して下さい」とお伝えします。

では、なぜ心を観察するのでしょうか。

 

その答えの前に、仏教とは何を説いているのかを説明します。

もともと仏教は、ブッダの教えをもとに成立したものです。

では、ブッダが伝えたことは何かと言えば、集約すると、たった2つしかありません。

 

①苦しみとは何か

②その苦しみからどうすれば解放されるのか

 

この2つだけです。

そして、心の観察は、その苦しみから解放されるための実践です。

苦しみとは何か

 

これは非常に重要なテーマです。

仏教では「苦しみとは何か」を、その時々によって表現を少し変えることがあります。

今日は、その中でも最も分かりやすい表現でお伝えします。

 

苦しみとは、

「不快な感覚を感じること」

です。

 

この不快な感覚には二種類あります。

一つは、肉体的な不快。

もう一つは、心の不快です。

 

例えば、今日の私は声が出しづらく、それ自体が肉体的な不快です。

病気だけではありません。

椅子に座っていれば、だんだんお尻や腰が痛くなります。

このように、病気でなくても、私たちは日常生活の中で瞬間瞬間、肉体的な不快を感じています。

 

もう一つは、心の不快です。

これはネガティブな感情を感じることです。

私たちは、悲しみや怒り、不安などのネガティブ感情を感じている時、不快な感覚を感じています。

 

肉体的な不快と心の不快。

この二つが不快な感覚です。

この不快な感覚を感じた時、私たちは「苦しい」と表現します。

 

快感が消えてしまうことによる不快も、この苦しみに含まれます。

 

例えば、

「ああ、気持ちいいな」

と横になっていても、そのまま同じ姿勢を続けていると、やがて身体が痛くなり、

「寝ているのもつらい」

と思って起き上がります。

 

このように、快感が消えてしまうことも苦しみです。

 

私たちは24時間365日、この不快な感覚、つまり苦しみを感じています。

そして、不快な感覚が嫌だから、そこから逃げようとします。

 

このように、24時間365日、不快から逃げようとしているのは、人間だけではありません。

すべての生命が、不快を嫌い、そこから逃げようとします。

 

 

その反対にあるのが快楽です。

私たちは、快楽が好きで、それを追い求めます。

 

身体の例で考えると、とても分かりやすいでしょう。

椅子に座っていると、お尻が痛くなります。

だから立ち上がります。

 

立ち上がると、

「ああ、気持ちいい」

という快楽が生まれます。

 

ところが、立ち続けていれば今度は疲れて苦を感じてしまいます。

すると、また座りたくなります。

 

このように、

 

・不快から逃げる。

・快楽を追い求める

 

そして、

不快なものは嫌いになり、

快いものは好きになります。

 

つまり、24時間365日、

快・不快、好き・嫌いに振り回されながら生きています。

これが、私たちの苦しみです。