なぜ心を観察するのか②「苦しみの原因は、無明・渇愛・執着」

 

仏教は、

「私たちが24時間365日苦しんでいることを、まず知りなさい」

と説きます。

そして、その苦しみからどうすれば解放されるのかを、説いています。

 

ここでは心の苦しみに焦点を当てます。

先ほどお話ししたように、心の苦しみとはネガティブ感情を感じることです。

 

では、そのネガティブ感情は何によって生じるのでしょうか。

仏教では、その原因は三つあると説いています。

 

 無明(むみょう)

 渇愛(かつあい)

 執着(しゅうちゃく)

 

この三つがあるために、心の苦しみが生じます。

 

 

無 明

まず無明とは何か。

「明るくない」と書くように、物事が分かっていないということです。

 

より正確に言えば、

「真理が分かっていないこと」

です。

 

真理とは次の3つです。

 

無常

無我

 

これを仏教では「三相」と呼びます。

 

この真理が分かっていない状態を、無明といいます。

 

すべての現象は、

生じ、変化し、滅していきます。

固定されたものではありません。

だから「無常」です。

 

例えば、「楽しい」という感情も固定されているものではありません。

ある条件がそろうことで生じ、時間とともに変化し、やがて消えていきます。

 

つまり、

「楽しい気持ちのままでいたい」

と思っても、その通りにはなりません。

 

無常だからです。変化するからです。消えるからです。

だから、思い通りにならず、苦しみが生じます。

これが「苦」です。

 

 

さらに、現象は変化し続けているため、そこには固定された実体がありません。

「楽しい」という実体が存在しているわけではないのです。

このように、固定された実体がないことを「無我」といいます。

 

無我の反対が「自我」です。

 

無我とは、固定された主体がないということです。

だから、思い通りにコントロールしたくても、コントロールできる主体そのものがありません。

 

このように、

すべての現象は無常であり、

無我であり、

だからこそ苦しみが生じます。

 

これが真理です。

この真理が分かっていない状態を「無明」といいます。

 

逆に、この真理が本当に分かれば、苦しみは生じなくなります。

分かっていないからこそ、苦しみが生じるのです。

 

 

シャボン玉の例

 

よく私は、シャボン玉を例にお話しします。

シャボン玉は無常です。

膨らんで綺麗になっても、すぐにしぼみ、あっという間に弾けてしまいます。

つまり、シャボン玉は無常です。

 

しかも、

「そのままでいてくれ」

と言ったところで、その命令を聞く主体はありません。

 

だから、私たちがどんなに

「そのシャボン玉、そのままでいてほしい」

と思っても、思い通りにはならず、弾けてしまいます。

これが無我です。

 

無常であり・無我であるシャボン玉に執着すると、苦しみが生じます。

 

一方、

「シャボン玉は無常であり、無我なんだ」

ということが分かると、苦しみは生じません。

 

私たち大人は、シャボン玉に振り回されません。

なぜなら、

 

「シャボン玉というものは、変化し、やがて消えていくもの」

「思い通りにはならないもの」

 

と理解しているからです。

だから、シャボン玉に執着せず、苦しみも生じません。

 

でも、小さな子どもは、

「シャボン玉は壊れる」

ということを知らないかもしれません。

そうすると、シャボン玉に執着します。

 

綺麗なシャボン玉を見て、

「わあ、綺麗」

と思っていても、弾けてしまったら、ショックで泣いてしまうかもしれません。

 

この時、苦しみが生じています。

 

「消えてほしくない」

「そのままでいてほしい」

という欲があり、それが思い通りにならないから苦しむのです。

 

つまり、その子は、

「シャボン玉は無常であり、変化していくもの」

という真理を知らないわけです。

真理を知らないから苦しみが生じる。

 

これが、

苦しみの原因が「無明」である

ということです。

 

無明が晴れれば、すべての心の苦しみはなくなります。