67章 お布施で支えられて生きる

 

生きるための最低限の営みと、セッションなどの活動以外は、

ほとんど何もせず、ただただ、平穏を味わいながら、

苦しみ少ない状態を眺めていました。

 

そんな1か月を過ごした後、

自分の活動を見直すようになりました。

特に、「お金を稼ぐ」ということに関してです。

 

それまでは、

セッションや、善友の集い・瞑想会などの対価としてお金を頂き、生活費と活動資金にしていました。

 

でも、自分の活動の対価として金銭を要求することが、難しくなっていたのです。

 

結局、対価を要求するときは、欲があります。

「生活を成り立たせるために、お金が欲しい」と。

 

主体が崩れたことで、その欲自体が、なかなか成立しなくなってきたのです。

 

「お布施という形で、生活と活動を、皆さまに支えて頂くしかないな」

そんな風に、思うようになりました。

 

 

仏教では、

全ての煩悩を絶ち、苦しみから解放された人を

「阿羅漢」と呼びます。

 

「阿羅漢は、生活自体が成り立たなくなる」

そんなことを、聞いたことがあります。

「生きたい」という欲求が無くなるのですから、それも当然でしょう。

 

阿羅漢になると、出家してお布施で支えながら生きざるを得ない。

自分も似たような状況になってきているのか、そう感じました。

 

タイやミャンマー、スリランカの仏教国では、

出家者がお布施によって支えられ、生活できるシステムが、長年にわたって浸透しています。

 

出家者は「働いて金銭を得る」という営みを禁じられ、

在家信者からのお布施(食事や生活必需品など)によって命をつなぎます。

 

そして、在家が僧侶を支え、僧侶が教え(法)を説くことによって、

ブッダの死後も2600年にわたって、教えが引き継がれてきました。

 

また、お布施は功徳を積む行為とされ、

「見返りを求めず、他者に施しを与える修行の一環」

という位置づけでもあります。

 

心の汚れ(煩悩)を減らし、苦しみから解放される原因となるので、

人々はこぞってお布施を行います。

 

 

しかし、そのようなお布施文化が無い日本で、

私はお布施によって生きていくことができるのか。

 

全く未知数でしたが、かといって、他に生きていく手段も考え付かない。

私は腹をくくりました。

 

「お布施で支えて頂いて生きよう。

もし支えてもらえなければ、自分の人生はそれまでだ。

それが自分の業だ」

と。

 

その答えがどうなるかは、これから、明らかになることでしょう。