51章 経験したことの無い「幸福・恍惚感」
「無常・無我なんて嫌だ」
という憂鬱・抑うつ状態は、1週間、続きました。
そして1週間後、ある朝、目覚めると、
憂鬱感も、抑うつ感も、跡形もなく消え去り、
心はスッキリと晴れ渡り、
今まで感じたことが無いような、幸福感・恍惚感で満たされていました。
目が覚めたら、「無常・無我」を、受け入れていたのです。
目に映るもの、全てが光輝いて見えました。
無常・無我ゆえに、全ての生命や、認識対象と繋がっていている、
本当に全ての事象と関係し合っていると感じる。
俗にいう「宇宙と繋がっている、一体となっている」というような、
今まで経験したことの無いような、充実感。
今までの人生、自分1人で生きてきた感じがしていましたが、
無常・無我ゆえに、確固たる実体が無いがゆえに、全ての生命と関係し合っている
そんなことに気づき、生きとし生けるもの、全ての生命が愛おしくてたまらい。
そして、
無常・無我ゆえに、人も社会も、無限に変革できる可能性があることに気づき、
感動を覚えました。
「自分」という存在が、確固たる実体があったら、変化することも無いですからね。
無常で無我ゆえに、私達は、社会は、変化し続けることができる。
感謝・喜び・幸福感に満たされ、
「幸せだー!」と叫びたくなりました。
「臨死体験」をすると、人が変わったように幸福感・満足感を感じると聞きますが、
それと似ているのかな、と思いました。
目が覚めたら、「覚醒」していたような感じです。
何を見ても感動し、心が震え、喜びで涙が出ます。
そして、色々なことに対する執着が、少しだけ、でも確実に減ったと感じました。
また、「執着を手ばなしたい」という想いも減りました。
それまでは、
「執着したら苦しむから、執着したくない、手ばなしたい」
という想いが、いつもありましたが、
・執着して苦しんだら、それをただ観れば良い。
・「手ばさなければ」と更に苦しむ必要はない
・執着したらしたで、良いや
と、気楽に捉えられるようになりました。
だからでしょうか。
怒り・不安・承認欲求等が生じることが明らかに減り、
生じてもごく弱く、すぐに消えるようになりました。
様々なものに執着し、縛られていたものから解放され、
心が自由になったように感じました。
さらに、
「事実を上手く活用すれば良い」
と思うようになりました。
人間は、変化する構成要素の流れに過ぎないかもしれないけれど、
一方で、思考や想いが感情があるのだから、
「無常・無我」という事実を踏まえながら、それと上手く付き合えば良い。
「成長したい」は確かに苦しみだけれ、
それが苦しみと分かった上で、上手く料理して、有効活用すれば良い。
そう、思うようになりました。
そのように捉えると、ますます肩の力が抜け、心は楽になりました。
今までより「あるがまま」でいられるようになったようです。
「あるがまま」は、言うは易し、行うは難しです。
・ あるがままで「ありたい」
・ 自然で「いたい」
・ ネガティブな気持ちが生じて欲しくない
などと、結局は欲に囚われ、
全く「あるがまま」な状態では無いことのほうが、圧倒的に多いのです。
でも、
「上手くいかない時があっても、それはそれで良い」
と、思うようになりました。
今まで、色々と複雑に考えて苦しんでいたな、
世界が、シンプルになったと感じました。
色々なことが、「まあ、良いや」と、受け流せるようになった気がしました。
今、感じている幸福感も、無常で消え去るものだから、執着したら苦しむ。
幸福感も、しがみつかず、ただ観察しよう。
でも、執着したら、それはそれで仕方がない。
そのうち気づいて、その執着を手ばなしていけば良い。
そんな、心境でした。
