なぜ心を観察するのか⑦「苦しみの輪廻を止めるには」
悩みの中身に付き合っていると、キリがありません。
なぜなら、一つの悩みの「中身」が解決しても、
輪廻のループの中にいる限り、また別の「中身」を持った悩みが必ず生じてくるからです。
例えば、職場の人間関係という中身が解決したとしても、
今度は家族の問題や、お金の問題といった、別の悩み(中身)が生じます。
このように、次から次へと中身が変わるだけで、
苦しむというシステム自体は何も変わっていません。
だから、中身に付き合っていても永遠に終わらないのです。
大切なのは中身ではありません。
心のシステム、
つまり、その裏で働いている欲(渇愛)と執着、
そして、それらを生み出している無明に気づくことです。
仏教が目指しているのは、この根本的なシステムそのものを止めることです。
システムを止めない限り、私たちが本当に苦しみから解放されることはありません。
では、そのシステム、つまり輪廻のループを、どうやって止めるのでしょうか。
欲は、基本的には思考という形で表面化します。
「あれが欲しい。」
「これは嫌だ。」
「どうしよう。」
このように、様々なことを考えます。
そして、考えれば考えるほど、欲はどんどん膨らみ、
快・不快の感覚に巻き込まれ、苦しみが増大していきます。
ですので、まずは、この思考に気づくことが、ループを止めることにつながりやすいです。
そのために、心を観察するのです。
思考だけではありません。
自分の中に生じている感覚や欲、一切の現象を、ただ観察します。
観察していくと、それらは瞬間瞬間に生じては消えていきます。
つまり、無常であり、
自分ではコントロールできない無我であるという真理が、
身をもって分かってきます。
この真理を観察することで無明が晴れ、
根本的に苦しみから解放されるという仕組みです。
「これが好き、これが嫌」
こういう感覚も消えていくなあ。
「人に嫌われたくない!」
そんな思考も、長続きしないなあ
「怒りたくない!」
と願っても、怒りが勝手に生じるなあ
こんな感じで、ただただ、観察するだけです。
このシンプルな行為が、全ての苦しみから解放される「解脱」に繋がるのです。
日常生活で心を観察することが上手い方はそれで良いですし、
「心の動きが速すぎて追いつかない」という方は、
まずは呼吸瞑想や歩行瞑想といった「形ある瞑想」で身体を観察するところから入ると、良いかもしれません。
まとめると、
「何のために心を観察するのか」
の答えは、
「苦しみの輪廻を止め、苦しみから完全に解放される為」
になります。
