66章 苦しみに繋がる思考や感情を、保持できない

 

「前提の無い状態」

を体感した後、1か月ほどは、

何もしないで、ただただ、「安らぎ」を味わっていました。

 

この体験は、結構な衝撃でしたので、

体調にも影響が出て、起き上がれないことも増え、

多くの時間は寝そべりながら、ただ、心の平穏を味わい尽くしました。

 

「何かをしたい」「何かしなくては」

という想いが、ほとんど生じてこない。

 

そして、何もせず、ただ横たわっているだけなのに、

圧倒的に平穏で、満たされている。

そんな感覚でした。

 

 

また、苦しみを生み出す思考が、なかなか生じてこないことも、新鮮でした。

私は聴覚が敏感で、ほんの少しの音でも目が覚めます。

早朝、鳥の鳴き声で目が覚める時、今までだったら、

 

「あーうるさいな。

睡眠途中で目が覚めちゃって、また体調に影響が出ないかな?」

などと、余計なことを考え、不安を感じながら耳栓をして、また寝るのです。

 

でも、前提の無い状態を体験した後は、

鳥の鳴き声で目が覚めると、何の思考も生じないまま、

身体だけが勝手に動いて、気づいたら耳栓をしていました。

 

思考が生じないから、当然ながら、

「体調悪くならないかな?」

なんて不安も生じません。

 

 

また、私は普段、体調が悪いため、身体が睡眠を多く求めるようで、

目覚ましをかけないと、12時間以上寝ることもあります。

 

この1か月はとにかく体調不良が強かったので、

目覚ましもかけず、起きたい時間に起き、寝たい時間に寝る、

という生活になっていました。

 

当然、遅く起きる日も多々ありました。

それまでだったら、

 

「あーこんなに遅く起きてしまった。

時間がもったいない。

何をしているんだ、自分は」

と残念がったり、少し自分を責める思考が生じたりしました。

 

でも、例え11時に起きても、

「今日は遅く起きる日。以上!」

で、終わりなのです。

 

苦しみに繋がる思考が生じないのです。

 

結局、

「これをしたい」「これをしなければ」

と思う主体が崩れたので、

欲・煩悩に基づいた思考が、生じにくくなったのですね。

 

 

といっても、全く苦しみに繋がる思考が生じない訳でも、

その結果、感情が生じない訳でもありません。

 

完全に、主体が崩壊したわけではなく、

まだ前提の無い状態と、主体がある状態が、共存しているような感じでしたからね。

 

ですから、今までほど強いものではありませんでしたが、

時折、小さな感情は生じました。

 

あるとき、少し不安が生じました。

そこで、不安が消えていく様子を観察しようと思ったのですが、

すぐに観察モードが崩れ、気が付いたら思考していて1分ほど経過していました。

 

「あ、考え事をしていた」

と、約1分後に我に返った時には、不安は跡形もなく消えていました。

 

それどころか、なぜ不安を感じていたのか、

その原因が全く思い出せないのです!!

たった1分前のことなのに。

 

何とか必死に考えて考えて、ようやく1時間後くらいに、

何に対して不安が生じたのか、想い出すことが出来ました。

こういったことが、頻繁に起こるようになったのです。

 

・不安などの感情が少し生じる。

・その感情を観察しようとする。

・それなのに、10秒くらいで別の思考が生じて、観察モードが崩れる。

・1分ほどして我に返ると、感情はすっかり消えている。

・そして、なぜその感情が生じたのかという原因を、

すっかり忘れていて、なかなか思い出すことができない。

 

それまでは、

感情を観察しようとして、思考に巻き込まれてしまうということは、

ほとんど無かったです。

 

感情が消えるまでの心の移ろいや、その時の身体の感覚を、

当たり前のように観察し続けることができました。

 

それなのに、10秒そこらで観察モードが消えてしまう。

 

 

つまり、主体が薄まったことで、2つのことが起こったと考えられます。

 

・まず、「何かを意識的に継続する」ということが成立しにくくなった。
だから、観察モードが続かない。

・そして、苦しみを生む思考も、思考の結果で生じた感情も、
保持することができにくくなった

 

不思議なことに、

苦しみを生まない思考・建設的な思考は、

今まで通り、ちゃんと記憶される。

でも、苦しみを生む思考と感情は、記憶喪失のように忘れてしまう。

 

非常に面白い、大きな変化でした。