死は必ず訪れる。だからこそ、今、心を訓練する
前回、
あるクライアントさんが火事に遭いそうになりながらも、
まったく心が動揺せず、終始冷静でいられた、
というお話を記事にしました。
その記事を書いた翌日、大学時代の同期が亡くなったという連絡を受けました。
詳しい事情は知らないのですが、恐らく癌だったのではないかと思います。
身近な人の死に接すると、改めて、
普段から心を訓練しておくことの大切さを感じます。
人生で最も大きな「いざという時」
前回の記事では、
何も起こっていない平穏なときこそ、いざという時に備えて、心を訓練しておくことが大切だとお伝えしました。
では、人生における最大の「いざという時」とは何でしょうか。
それは「死」です。
何よりも自分自身の死。
そして、家族や親しい人、大切な人の死です。
私たちは、いつか必ず死を迎えます。
また、自分より先に、大切な人を見送ることになるかもしれません。
そうした避けられない出来事に直面したとき、自分の心をどれだけ穏やかに保てるのか。
これは、人生において非常に重要なことです。
私がご縁のあったテーラワーダ仏教でも、
「死は必ず訪れるものだからこそ、その時に備えて普段から心を訓練しておくことが大切だ」
と、繰り返し教えられています。
2年前の母の死
私自身、2年前に母を亡くしています。
その時のことは、過去のコラム にも書いていますが、青天の霹靂、本当に突然の出来事でした。
でも私は、母が亡くなる何年も前から、
いつか母が死を迎えたときに、自分の心が乱れないよう訓練を続けていました。
私は母のことが大好きでした。
だからこそ、母が亡くなったときには、自分はきっと大きな悲しみを感じるだろうと思っていたのです。
そこで、普段から自分の心を観察し、母に対する執着を手放す練習を続けていました。
その練習の成果で、実際に母が亡くなった時に、長く苦しみを引きずることはありませんでした。
亡くなった日の夜は、さすがになかなか眠れませんでしたが、
2日目、3日目には心もだいぶ落ち着き、母への想いを手ばなすことができました。
悲しみを否定せず、執着を手放す
では、具体的にどのような訓練をしていたのでしょうか。
それは、自分の心に生じる執着に気づき、それを手放していくことです。
私は母が好きでしたし、いつまでも元気で生きていてほしいと思っていました。
その気持ちの中には、
・母を失いたくない
・母に生きていてほしい
という、強い執着がありました。
その想いに執着すればするほど、母が亡くなったときには苦しむことになります。
ですから、普段から自分の心を観察して、
「ああ、今、母に執着しているな」
「母に生きていてほしいと思っているな」
と、その思いに気づき、手放していくことを繰り返していました。
実際に母が亡くなった日の夜には、やはり悲しみが生じました。
「もっと生きていてほしかった」
「悲しいな」
そんな想いが次々と出てきました。
そのとき、私は悲しみを無理に消そうとはしませんでした。
その悲しみをそのまま受け入れ、悲しみを感じる。
そして、「もっと生きていてほしかった」という想いが生じたときには、
「ああ、この想いに執着すると苦しむのだな」
と気づき、その執着を手放していく。
そのように、自分の心を観察し続けていました。
こうすることで、心は安定していったのです。
重要なのは、悲しみを感じないようにすることではありません。
悲しみが生じても、それを否定せず、そこにある執着に気づいて手放していくこと
なのです。
心の訓練をしてきたからこそ
私は、幸いにも仏教とご縁があり、
長年にわたって自分の心を観察し、苦しみを手放す訓練を続けることができました。
そのおかげで、今では何か大きな出来事が起こっても、長い間苦しみ続けることは少なくなりました。
もちろん、一時的に心が揺れることはあります。
半日、あるいは1日ほど、気持ちが落ち着かないこともあります。
でも、
・自分の心に何が起こっているのか
・なぜ苦しみが生じているのか
を観察できるので、引きずることなく、早く心を落ち着かせることができるようになりました。
もし私が仏教に出会っていなかったら。
もし、こうした心の訓練を続けてこなかったら。
何か出来事が起こるたびに、きっと長い間苦しみ続けていたのではないかと思います。
何も起こっていない今こそ、心を訓練する
だからこそ、私は皆さんにも、
普段から自分の心を観察し、執着を手放す訓練をして頂きたいと思っています。
・今は特に困っていない。
・大きな悩みもなく、平穏に暮らしている。
それは、とてもありがたいことです。
しかし、その平穏な日々が、いつまでも続くとは限りません。
病気になるかもしれませんし、大切な人を失うかもしれません。
前回記事の火事のように、突然、自分の生活が大きく変わってしまうこともあります。
そして、いつかは必ず、自分自身の死を迎えます。
そうした出来事が起こってから、初めて心を訓練しようとしても、なかなか難しいものです。
だからこそ、
何も起こっていない今こそ、心を訓練しておくことが大切
なのです。
もっとも、人は苦しんでいないときには、なかなか自分の心と向き合おうとはしません。
そして、苦しみに直面しても、その苦しみがなくなれば、のど元過ぎれば熱さ忘れるで、そのまま日常生活に戻ってしまう。
そのような方が大半でしょう。
それでも、こうして私とご縁のあった皆さんには、ぜひ覚えておいていただきたいと思います。
大きな苦しみが訪れてからではなく、普段から自分の心を観察し、執着を手放す練習をしておくこと。
その積み重ねが、いざという時に、自分自身を苦しみから守る力になっていくのです。
亡くなった同期へ送る
仏教では、生きている間に培ってきた心のあり方や方向性によって、
次の生が決まり、輪廻転生していくと説かれています。
ですから、今回亡くなった同期も、すでに次の生を迎えているのかもしれません。
彼がどのような人生を送り、どのような想いで最期を迎えたのか、私にはわかりません。
ただ、次の生があるのなら、彼にとって穏やかで、苦しみの少ないものであってほしい。
そのように祈っています。
