なぜ心を観察するのか③「渇愛と執着の発生メカニズム」
さきほどは「楽しい」という感情を例に、無常・無我を説明しました。
身体も同じです。
身体も、どんどん変化します。
身体もまた、無常であり無我です。
例えば、私は今、白髪が結構あります。
でも、
「白髪になるな」
と言ったところで、その命令を聞く主体はありません。
だから、髪は白くなっていきます。
これも無常であり、無我です。
私は今回、おそらくコロナにかかりました。
でも、
「コロナにかかるな」
と言っても、その命令を聞く主体はありません。
だから、コロナにもかかります。
身体も心も、常に変化し続けています。
同じ状態にとどまることはありません。
すべては流れです。
その流れに対して、
「こうなってほしい」
「ああなってほしい」
とコントロールしようとすると、葛藤が生まれます。
そして、苦しみが生じます。
瞬間瞬間の状態でしかないものを、変えようとする。
これが無明です。
渇愛と執着
無常であり無我なものに執着するから、苦しみが起こります。
これが、
渇愛・執着
です。
「渇愛」は、
快楽を追い求め、不快なものから逃げようとすることです。
これまでお話しした「欲」のことです。
「執着」とは、
その渇愛がさらに強くなったものです。
快感が得られるものに欲を抱き、それに強くしがみついて、
「何としてでも手に入れたい」
不快から逃げようと
「何としてでも逃れたい」
このように、欲が強まってしがみついている状態です。
無明があると、自動的に渇愛と執着が生じます。
さきほどの小さな子どもの例で言えば、
「シャボン玉は消えてしまう」
ということを理解していないと、
綺麗なシャボン玉を見た瞬間、
「欲しい」
「このままでいてほしい」
という渇愛が自動的に生じます。
そこで止まることもできます。
でも、その術を知らなければ、そのまま執着になります。
「何としてでも、このシャボン玉に消えてほしくない」
と、どんどんしがみついていきます。
そして、どんどん苦しくなっていきます。
このように、仏教では、
心の苦しみの原因は、
- 無明
- 渇愛
- 執着
この三つだと説いています。
