53章 三度目の「全ての現象に実体は無い」
慈悲の塊のような状態になり、
とんでもない幸福感を味わいながら、2週間を過ごしました。
そんなある日、近所の小川のほとりで、立つ瞑想をしていた時です。
いつも通り、高い集中力で、深い深い静寂の中に入っていた時、また突然、
「全てものに、実体なんてないんだ!」
を、強く強く実感したのです。
1度目より2度目のほうが、2度目より3度目のほうが、強い実感でした。
そして、同時にまた、
強い強い絶望感に襲われました。
前回の絶望感より、更に強いものでした。
「実体が無いなんて嫌だ。
全てのものに価値が無いなんて嫌だ!」
あまりにも強い絶望感で、立っている気力も無くなり、その場に座り込んでしまいました。
1時間くらいでしょうか。
その場にへたり込んでいましたが、
その日はオンラインで会合の予定があり、家に戻らなくてはなりませんでした。
何とか身体を引きずるようにして帰宅して、
フラフラになりながら、オンラインの会合に参加。
でも、椅子に座るのもやっと。
息も絶え絶えで、声を絞り出すのも精一杯。
会合が終わったと同時に、椅子から崩れ落ち、床に倒れ込みました。
そして、一晩寝込み、朝目覚めると。。。
絶望感は跡形もなく消え、
すっかり無常・無我を受け入れ、
心は静寂になっていました。
2度目に「実体が無い」を体感し、それを受け入れた後は、
とてつもない慈悲・幸福感を感じましたが、
今回は、ただただ、静寂でした。
そして、このような想いが生じたのです。
もう、「あれがしたい、これが嫌だ」という欲を追いかける人生は終わりだ。
これからはもう、自分ことなんて、どうでも良い。
ただ、人や他の生命の幸せ、社会の為に生きる。
「何かをしたい。こうあって欲しい。こうなりたくない」
そんな欲が、消え去っていました。
そして、心の中で、お葬式をしました。
今までの、
「欲を追いかける人生、自分のための人生は、終わった」
と思ったからです。
肉体が尽きるまでの残りの時間は、
他の生命の幸せの為、社会の為だけに生きるのだ。
と、自然に想いが生じるのです。
「自分」という実体など無い。
執着すべき「自分」など存在しない。
それが分かれば、結局
「こう生きたい、ああ生きたくない」
という想いも生じなくなる。
そして、
「自分」と「それ以外の生命」という壁も無くなり、
自分と他の生命の区別が無くなる。
守るべき「自己・自我」というものが無くなる。
心は穏やかで、自由でした。
