59章 智慧がつくほど、「愚か」と感じる

 

さて、「これは涅槃か?」と思いたくなるような静寂のあと、通常状態に戻ると、

今度はまた、絶望がやってきました。

 

「髪の毛1本、コントロールすることなどできない」

と、強く感じたのです。

 

「私達がコントロールできることなど、何も無い。

どれだけ欲を抱こうと、思い通りにならない。」

 

それを強く強く実感し、

また「嫌だ。思い通りになって欲しい」となり、

強い強い絶望感が生じました。

 

 

読んでいる方も、「しょうこりもなく、また?」と思われるかもしれませんね。

でも、この後も、何度も何度も何度も何度も

 

「すべてのものに実体などない、いくら欲を抱いても、思い通りにコントロールできない」に直面

受け入れられなくて、絶望感が生じる。

 

これを、繰り返すのです。

 

何度も何度も、「真理に直面し、絶望する」。

その過程で、たくさん、智慧が生じました。

 

面白いことに、智慧が生じれば生じるほど、

「自分は愚かだ」

と感じるのです。

 

智慧が生じれば、「その分、賢くなったように感じるはず」と思いませんか?

 

確かに、賢くはなります。

でも、同じだけ、愚かさにも気づくのです。

 

だって、

「実体などない、よって、何もコントロールすることができない」

と分かっていても、

「ああしたい、こうなりたくない」と欲が生じ続けるのですよ。

 

「自分なんて実体は存在しない。ただ、流れ、状態があるだけ」

と分かっていながら、

 

・「自分はこうなりたい、ああなりたくない」と思ったり、

・ポジティブ感情を追いかけたり、

・ネガティブ感情から逃げようとしたり、

・「健康でいたい」と肉体に執着する。

 

つまり、「自分などという実態が無い」と理解しながらも、

「自分」という幻に振り回されているのです。

 

こんなに愚かなことは、ないでしょう。

 

結局、「分かったつもり」になっているから、こんな愚かな状態なのです。

「ある程度は理解している。

でも100%分かっていないから、迷いの中にいる」

ということです。

 

結局、100%真理を理解しないと、

涅槃に至らないと、

苦しみが完全に消滅することは、無い。

 

「分かっていない」ことが分かるから、

自分が理解していないことを自覚しているから、

自分の状態が「愚か」だと感じる。

 

 

昔、かのソクラテスが、「無知の知」という名言を残しましたよね。

「無知の知」とは、「自分は知らない」ということを、自覚することです。

 

ソクラテスは、

「自分は無知だ。

でも、無知であることを知っている分、無知であることに気づいてもいない人よりは、賢い。」

と言っています。

 

まさに、こんな感じですね。

だから、智慧がつけばつくほど、自分の愚かさに気づく。

 

この頃、自分のこの愚かさにも、絶望感を抱くこともありました。

 

でも、それらを観察するうちに、

「自分が愚か」という、実体があるわけではない。

「愚か」という『状態』があるだけだ

と、捉えるようになっていき、こだわらなくなっていきました。